ひき出しのようなブログ

主に映画の感想。忘備録のようなもの。

【感想】カメラを止めるな! ~熱狂を感染させるゾンビ映画~

学生時代、僕は自主映画制作に熱中していた。

特に3回生の時は大学の外に飛び出して、それこそ自主映画の世界でトップランナーの監督のもと、映画制作に関わったりもした。陳腐な言い回しになってしまうが、今思い返せば「最高に楽しいときだったな~」と思える。『カメラを止めるな!』は、その映画を作っていた時のことを思い出しながら、ノスタルジックな気持ちで鑑賞した。 


映画『カメラを止めるな!』予告編

 

カメラを止めるな!』。この映画はホラー映画なんて紹介されたりするが、多くの人はコメディ映画として観るだろう。いわゆる漫才でいう和牛式(もっと遡れば麒麟式ともいうのかな?)、前半のおかしな部分をもう一度再現し最後に回収することで、大きな笑いを生みだす構造になっている。劇場もドッカンドッカン笑いが起きて、それをみんなと共有するのは、すごく楽しい映画体験だった。

 

非常にわかりやすく笑えるポイントが作ってあり、それが人を選ばずに評価されているゆえんだと思うけど、僕的にグッと来たのは「いかに熱狂を伝播させていくのか」という所だ。ゾンビ映画を作っている主人公は、登場人物たちをゾンビ感染させていくのではなく、熱狂を感染させているという物語の構造になっていると思う。

 

じゃあ、それがどういう熱狂なのか。それは、「80点ではなく現時点で出せる100点を出す」というクリエイターの本能。面白いモノを作ろうよ!というシンプルかつ強固な姿勢だ。この映画では、「制作者と発注者」「父と娘」の対立を通して、何度も理想論(100点を出そうという気持ち)と現実論(完成させるのが、まず第一)という姿勢がぶつかり合う。ただ、どんな仕事であれ2.3年以上仕事の経験がある人なら誰でもわかる自明のことだが、理想論の貫徹は難しい。一般的にも、現実路線こそプロフェッショナル、という論調の方が強いと僕は思っている。だからこそ、後半の熱狂の感染が心に訴えかけるものがあるのだろう。娘の最初の登場シーンでは、「こいつ世間知らずの馬鹿だな~」なんて思ったりしていたのに(笑)、『ラ・ラ・ランド』のようなラストのシンプルな父と娘の視線の交錯には「イェーイ!」とはしゃぎたくなった。

 

映画とは「関係性の変化を楽しむもの」というのが僕のモットーであるので、それが分かりやすい対立の形で表象されており、さらにめっちゃ笑えるというのだけでも、『カメラを止めるな!』は僕的に最高の映画だった。けどもっというと、泣きそうなくらい感動したのは実はその部分ではない。ワンシーンワンカット30分の低予算映画を作っている」という題材に対してだ。 

アルカトラズからの脱出 [Blu-ray]

アルカトラズからの脱出 [Blu-ray]

 

昔何かの映画コラムで、「登場人物の欲望がシンプルなほど、映画の強度が増す」みたいな文章を読んだことがある。例えば、『アルカトラズからの脱出』なんかでは、何としてでも脱獄する!しか、映画内では描かれない。なるほど、その直線的な行動のパワーがこの映画の面白さなのか、なんてことを思った記憶がある。

 

さて、『カメラを止めるな』だ。この映画は、『アルカトラズからの脱出』のようにシンプルな映画ではない。内田けんじ監督の『運命じゃない人』のようにトリッキーな映画である。じゃあなんで、わざわざ欲望の話をしたかというと、インディーズ映画を作るということが、「シンプルで直線的でパワーのあふれた」行為なんじゃないかと僕が思っているからだ。さらに、多くのスタッフが同じ方向をしっかり向いていれば(面白いものを作りたいと欲望を持っていれば)、そのパワーも一際増すことだろう。『カメラを止めるな!』は、そういうことを題材にしている。だから、推進力があり面白いのではないだろうか。

※インディーズ映画を作るのはパワーのある行為だから、面白い映画ができるというわけでは決してない。あくまで、映画内の登場人物たちの欲望の話ね。

 

ちなみにこの記事の冒頭に挙げた、僕が参加した映画も37分1カット長回しの映画だった。ほぼ演劇みたいなモノなので、何日もリハをしたし、スタッフの動きも綿密に打ち合わせた。フレームの外で、動き回るスタッフ。みんながいいものをしようと行動する。一軒の家を舞台にして撮影が行われたが、あの空間はエネルギーに溢れていて、僕も今まで感じたことない気持ちに満たされていた。

 

それはメジャー映画の制作現場でも、一緒だったんじゃないかと言われるかもしれない。確かにそうかもしれない。ただ、インディーズ映画は必然的に観る人もメジャー映画に比べて少ないし、言い方は悪いが「社会的にあまり役に立たない」とされるものが多い、という点で違うとはいえる。「作っている人が生きるために必要なお金を稼ぐ」という面でも、期待できない。なぜ作るのか? 作りたいから!としかいいようがない。そういった得体のしれない欲があったからこそ、僕は幸せを感じたんじゃないかと思う。(断っておくが、社会的に役に立たないものこそが人生を豊かにすると思っているので、役に立たないとされることは否定しているのではないです!)

 

カメラを止めるな!』は、過去の経験を思い返させ、そういった幸福の瞬間を想起させてくれた。特に、ラストのエンドロールは、美しい欲の集積(いいものを作ろうという一体感)が見られて泣けてくる。それは、僕が自主制作映画に携わっていたからなのか、他の人がどう感じたのかは分からない。でもいえるのは、僕にとって『カメラを止めるな!』は多幸感があふれる映画だったともに、「また映画製作に関わりたい」と思える感染力のある映画だった。